ストーリーの幕開け
実は森下は、森下建設の東京営業所を開設しており、江津を離れて東京に滞在していることが多かった。社長(現相談役)である父とは違う方向性を模索していた時期でもあり、江津に戻ることは少なく、父とも真正面から向き合うことがない生活が何年も続いていた。
そのような状況の中、いざ「日本初の市街地レース」に向けて動き出そうと勢いづいても、江津市内に人脈が多いわけでもなく、どのように進めていけばよいのか、手探りどころか一歩目すらわからない状況だった。
だが動かなければ、何も始まらない。
ーまずは一人目。父に理解してもらおう。
江津市民の一人であり、経営者でもある森下の父は、江津市がある島根県石見地区の今後を憂いて常日頃から「何とかしなければ」と思いを語っていた。この日本初の市街地レース実現というチャレンジは、江津市に愛着がある人にこそ伝えたい企画なのだ。
何しろ何年も父と離れて暮らしており、仕事上のやり取りがあるとはいえ、東京で好き勝手やっているように見える森下に対し、父はいつも小言を並べていた。
そんな父へ、突然江津の町おこしだ、市街地レースだ、と言っても鼻で笑われるだけかもしれない。
森下は父に対する企画書を作成した。
そして、身内に話すというよりも、江津市の建設会社の社長に対してプレゼンをするつもりで企画書を使って説明をした。
冷静に、だが熱く思いを伝えた。
「…シビックセンターあたりは、学校とか病院があるから難しいんじゃないか。」
父が口を開く。
「音の問題があるからな。工業団地付近とか風力発電がある山道なんかはいいかもしれないがなぁ。どちらにしても、こういう取組みは、地域の合意が得られないと最終的には進めることはできない。まず反対にあう。賛成が1割あるかどうかだな…。それから道路許可は警察だと思うが、警察に理解してもらうためには市や県の合意がいるだろうな…それに、~~~(話は続く)」
企画自体に聞く耳は持ってくれたものの、実現の困難性を述べるばかりで前向きに応援してくれる、という印象ではなかった。ただ、逆に考えれば、父が列挙する課題「地域の合意・行政・警察の許可」をクリアしていけば開催の道が開けてくる可能性があるとも思えた。
ー地域の合意。行政。警察。とにかく足を使って、動いてみよう。
父の大賛成を得られたわけではなかったが、森下は動き始めた。
中高の同級生や友人、自分と同じ二代目の経営者候補など、とにかく連絡を取って話をした。
最初は興味を持ってくれる人も少なかったが、ぽつりぽつりと、少しずつ人の輪は広がっていく。
誰かに会いに行くと、その人が新しい人(モータースポーツ好きの人や地元に人脈がある人など様々)を紹介してくれた。
そして2013年11月7日。江津市の青年会を中心とした何名かの有志とともに準備会を結成し、地元の旭温泉で決起会開催に至った。
準備会ができたことで、いよいよプロジェクトが本格化し、いくつかの人脈を辿って12月3日に江津市商工会議所のアポが取れた。そしてそのアポの席には、森下建設の社長である森下の父も同席してくれることになった。
市街地レース実現までに現実的な課題はあったとしても、きっと商工会議所でもいい感触を得られるに違いない。江津市のための企画なのだから。
森下は言葉を選びながら、日本初の市街地グランプリの構想を一つひとつ説明した。
ひと通り森下の話が終わったところで、商工会議所の方はとても冷静に、次のように話し始めた。
「…面白いと思いますが、ハードルは高いですね。市の予算、道路封鎖による関係機関の調整、それに公安委員会(警察)の許可がないことには始まりません。」
ーもっともだ。警察に理解してもらうことがやはり重要だ。
森下は冷静に受け止めていた。
ふと隣を見ると、なんだか父がいつも以上に熱をまとっている印象がある。心なしか、姿勢も前のめりだ。父は、力強く低い声で、「今日頂きましたアドバイスをもとに、私たちで動いてみます。」と言い放ち、今回のアポイントを終えた。
その後の森下父の行動は目を見張るものがあった。その行動力には森下も驚かされた。
父はすぐに江津警察署への連絡手段を考え、各位へ取り継ぎ、商工会議所のアポから間もない12月9日に江津警察署署長へのアポを取り付けていたのだ。
ー父は後押ししてくれる。
父の動きに森下の心も熱くなった。
こうした森下父の動きもあり、市街地グランプリ構想から少しずつ人脈の輪を広げ、準備会を結成し、警察署署長へ説明する段階にまでこじつけた。実現に向けて、前へ進んでいる実感もある。
しかし実はここからが、本当のストーリーの幕開けだった。
日本で前例がない公道レースの実現には、想像もつかない、いくつもの困難が待ち受けていることを森下は知らなかった。
ー2へ続く -
グランプリ構想から開催日決定に至るまでの経緯を、ストーリー形式でお届けしていきます。